プロフィール

貧乏マインドで家族との時間を犠牲にし続けた会社員が、コンテンツビジネスで人生を取り戻していくリアルストーリー

はじめまして、まるちゃんと申します。

僕は、ほんの数年前まで将来に不安を感じているただの会社員でしたが……

2023年、28歳でコンテンツビジネスに出会い、完全ゼロから数年。僕は今も会社員を続けながら、「時間・お金・場所、人間関係にしばられない、自由なライフスタイル」の構築に向け、一歩ずつ仕組み作りに励んでいます。

現在は、子育て+会社員をしながらコンテンツビジネスに取り組んでいます。

コンテンツビジネスの実績としては、

  • 完全ゼロから2ヶ月でコンテンツビジネスのゼロイチ達成
  • コンテンツ販売に挑戦して有料noteを90部以上売り上げる
  • 30歳の2025年10月→「自動化」の仕組み作りによって、会社に依存しない収益の柱を構築中

という感じです。

医療職として病院に勤めた9年間。

「現場に行かなければ仕事にならない」のが当たり前の世界でした。

でも、今のコンテンツビジネスは違います。

  • 全てオンラインで完結
  • スマホとパソコンさえあればOK
  • 自宅がそのまま仕事場になる

自分の努力次第では、これまで見ることができなかった景色を見ることができる。

このほか、ビジネスの実績として、

Amazonの電子書籍ストアKindleで3作連続ベストセラーを獲得したりしました。

2018年の23歳で「言語聴覚士」を取得し、リハビリテーション職として9年間働いていました。

患者の人生に深く関わる中で培った言葉にならない想いを汲み取り、対話を通じて心を通わせる力は、人並み以上にあると自負しています。

ほかには、吃音(きつおん)のある言語聴覚士という当事者かつ専門家の視点で発信を続け、これまで新聞などのメディアに取り上げていただきました。

…と、実績はこれぐらいにしておきます。

2023年にコンテンツビジネスの世界に足を踏み入れた僕は、主に自分の失敗体験やコンプレックスをそのまま発信し、同じように悩む人たちへ向けて情報を届けてきました。

僕が情報発信を続けている理由は、普通じゃない自分を認め、最高に幸せに生きてい人を増やしたいという想いがあるからです。

僕は20年以上、「言葉をなめらかに話せない」コンプレックスを抱えながら生きていました。

「普通に話せるようになりたい…」

他人と比べてもしょうがないことはわかっていても、自分に自信がなくて比べてしまう。

でも、僕の電子書籍を読んで「救われました」と言ってくれた人がいたんです。

その時、あることに気づきました。

それが、 コンプレックスは隠すものではなく、武器にするものだ、ということです。

多くの成功者は、僕よりももっと強いコンプレックスを抱えていて、それを稼ぐ力に変えている。

「自分には価値がない」と思い込んでいたとしても、コンテンツビジネスでは、その経験こそが誰かを救う武器になることに気づくことができました。

経験を価値に変えた先にある、時間・お金・心の自由。

この3つが揃って初めて、自分の人生のハンドルを自分で握り、選択することができる。

僕もまだその道半ばですが、一歩ずつ進む中で、目指すべき理想の未来が少しずつ見えてきました。

お金があっても、時間に追われて忙しい毎日を過ごしていたら、心は自由になれません。

せっかくの家族との時間も、ただ過ぎ去るのを眺めるだけになってしまう。

「人生は一度きり。大切な人との思い出を作ることこそが、生きる本当の意味」と本気で思っています。

そんな理想を現実に変えてくれる可能性を秘めているのが、このコンテンツビジネスでした。

将来への漠然とした不安に立ち止まっていた会社員から、時間を忘れて夢中になれる会社員へと、人生の舵を切ることができたのです。

僕がなぜ、ここまで必死に挑戦を続けるのか。

それは、人生には期限があるからです。誰しも時間は平等に24時間しかありません。

かつて、会社員としての仕事「だけ」に追われていた頃の僕は、その貴重な時間をただ消費し、自分の成長を何一つ感じられずにいました。

明日も、1年後も、今と同じ不安を抱えたまま過ごすのか……。

そんな漠然とした恐怖がありました。

でも、今は違います。

1ヶ月前よりも1週間前。1週間前よりも今日。昨日よりも今日。

自分の力でできることが増えて、確かな成長を実感できています。

「自分の言葉で、自分の想いを届ける」

話すことにコンプレックスがあった僕が、今こうしてインターネット上に言葉を紡いでいる。

これだけでも、数年前の僕からすれば信じられないほどの大きな成長です。

限られた24時間を「なんとなく」過ごすのではなく、理想の未来のために使う。

だからこそ、コンプレックスを武器に変え、失敗しても立ち上がり、大切な家族と笑顔で過ごす未来を自分の力でたぐり寄せることができると確信しています。

僕は今も、働きながらオンラインビジネスに取り組むただの会社員。 

完全な自由を手に入れた「すごい起業家」ではありません。

でも、だからこそ。

「時間がなくて焦る気持ち」や「会社員特有の悩み」をリアルタイムで理解できるし、限られた時間の中でも「自動で収益が生まれる仕組み」を作る方法を、あなたと同じ目線で教えることができます。

まだ道の途中にいる僕と一緒に、大切な人を本当に大切にできる未来を、取り戻しに行きませんか?

こんな理想の未来を見据えて、今あなたに言葉を紡いでいます。

でも、ここまで読んだあなたも、心のどこかでこう思っていませんか?

  • 「それは、普通に話せる人がやることでしょ」とか
  • 「ただの会社員の自分には関係ない話だなぁ〜」とか
  • 「ビジネスとかやったことないし、何もわからん」とか

実はこれ、全部数年前の僕が、自分自身に並べていた言い訳なんです。

でも、自分の過去を洗い出すと驚くのですが、僕は30歳手前で人生のどん底に落ちるまで、自分のコンプレックスや失敗を「なかったことにして」生き続けてきた人間でして、

「どうせ自分は普通じゃない」

「何をやっても、うまくいかないんだ」

と本気で絶望していた人間です。

それでも、ビジネスは誰しも平等にチャンスを与えてくれます

そして、正しい方向性で正しい努力をすれば必ず成功できると信じ、僕は挑戦し続けます。

コンプレックスや失敗を「隠すもの」ではなく「武器にするもの」だと気付いたとき、僕の世界が変わりました。

だからこそ、あなたに知ってほしい。

僕は特別じゃない。

誰にでも平等に人生を変えることができるだと。

この状態になるまでのストーリーは「僕のメルマガ」の中で赤裸々に話しているので、もしよければ登録してくれると嬉しいです。

ーとは言え、どういう感じに生きてきて今に至ったのか、この先に簡単な僕のストーリーを書いてみました。

もしあなたが、

  • コンプレックスや過去の失敗を抱えながら、「自分には無理だ」と諦めかけている
  • 家族の時間を犠牲にせずに、自分らしい稼ぎ方を見つけたい
  • コンプレックスを隠すのではなく、それを武器に変えて前に進みたい

そう思っているのであれば、きっとこれ以降はあなたの人生を変える「何か」になるはずです。

ぜひ、最後までお付き合いください。

この記事の目次

まるちゃんのプロフィール年表


先に、僕がどんな人生を歩んできて、今の状態になったのか、簡単な年表をつくってみました。

0歳:広島県広島市で生まれる

男3人兄弟の真ん中として、広島市で産声を上げる。

4歳:広島県呉市へ転校

年中の時期に、呉市へと引っ越す。公園よりも山で遊ぶのが好きなワンパクな子ども。運動会の前日に鏡で右足を切ってしまい、10針以上縫うことになる。

9歳:広島市への再転校と吃音の自覚

再び広島市へ戻るが、転校先の自己紹介で名前が言えず、教室が凍りつく。喉の奥がギュッと締まる感覚。「あ、自分は普通に言葉が話せないんだ」と自覚。週1回の言葉の教室だけが、唯一ホッとできる場になる。

10歳:バレー部に入部

地元の弱小バレー部に入部するが、直後に強豪の男子チームと統合。そこから一変、毎日がバレー漬けのスパルタ生活に。泥だらけになって食らいついた結果、6年生のときには広島地区1位の景色を見ることができた。

13歳:ソフトテニス部に入部

中学校で男子バレー部を作ってもらうように高校先生に直談判。しかし、願いは叶わず。仕方なくソフトテニスへ入部。休みの日問わずラケットを振り続け、部長となる。中学2年生では団体戦で広島地区2位となる。

16歳:テニス部を即退部、マックに通う日々

高校でもソフトテニス部に入るが、練習試合で3年生の先輩に勝ってしまい、部内に居づらくなって即退部。そこからは目標を失い、毎日マックに溜まったり、友達と夜遅くまで遊んだりと、何者でもない時間をなんとなく過ごす。

18歳:祖父との二人暮らしと猛勉強

呉の田舎で、祖父と二人暮らしをしながら大学へ。カビの生えたパンが置いてあるような古い部屋で、「国家試験だけは受からなきゃ」という一心で、夜22時までひたすら大学の図書館で勉強する毎日。

20歳:週末は実家へ逃避

田舎での勉強漬けの生活に嫌気が差し、週末になると広島市へ帰り、中学時代のやんちゃな仲間たちと飲み歩く日々を繰り返していた。猛勉強と自堕落な逃避という、矛盾した二重生活を送る。

21歳:母の躁うつ病を発症

大学3年生の頃に母が躁うつ病を発症。空と通信したり夜中に走り回り奇声を挙げるなど、気が狂ったような母の姿に絶望し、家庭が少しずつ壊れていく音を聞く。それ以降、呉の田舎に戻り、就職試験と国家試験、卒業論文の作成に励む。

23歳:国家資格を取得→医療機関へ就職

なんとか就職するも、吃音のせいで電話や挨拶が怖くてたまらない。個室に隠れて息を整えてから電話をかける毎日。「こんな自分を救ってくれるのはこの会社しかない」と、未来に希望を持てないまま、会社に依存しきった働き方を続ける。

28歳:大学院へ進学と中退

将来に絶望するも、一念発起で大学院へ進学。週5勤務しながら週3回大学院に通う日々。睡眠時間は3時間以下となり、体調を崩し中退。今後のキャリアや夢、希望は一瞬で崩れ落ちた。大学院中退を機に当時、付き合っていた彼女と結婚することを決意。

29歳:結婚・第一子誕生・副業にチャレンジ

結婚後すぐに長女を授かり、出産。産声を聞いた瞬間「この子と妻を一生守り抜く」と心に誓う。今の給料だけではダメだとポイ活やブログ、Kindle出版に専念。家族の時間を奪う労働から抜け出すため、必死にキーボードを叩き始めるが、FXで260万円を失うなど、失敗と迷走の2年間が続く。

31歳:「コンテンツ自動化」への挑戦

広島でビジネスの師匠と出会い、自分の失敗やコンプレックスがそのまま「資産」になるコンテンツビジネスの自動化を知る。現在は家族との時間を最大化するため、24時間働く仕組み作りに没頭。会社に依存しない収益の柱を構築中。

かなりザックリですが、これが僕の年表です。

これ以降に、主要な出来事にフォーカスしたストーリーを書いていきますが、

僕は「普通に話せない」というコンプレックスを隠し続け、周りの顔色をうかがいながら、自分の気持ちをずっと飲み込んで生きてきました。

普通に話せない自分を恥、失敗のたびに「やっぱり自分には無理だ」と言い聞かせながら、出口の見えないトンネルを1人で歩いているような感覚。

本音では「このままじゃ嫌だ」と何度も思っていましたが、それを誰かに打ち明けるほどの言葉を、持っていませんでした。

でも、そんな状態からビジネスに出会い、本当にすべてが変わっていきました。

僕がそうだったように、コンプレックスを抱えたままでも、人生は変えられるんです

そんな僕のストーリーを切り取り、これ以降に書いていきますね。

吃音を隠して、「普通のふり」をし続けた学生時代

学生時代の僕は、とにかく周りの顔色をうかがいながら、本音を飲み込んで生きてきた。

そのくせ、弱さを見せることが怖い上にプライドが高く見栄っ張り。

9歳で転校した際、自己紹介で名前が言えませんでした。

喉がギュッと締まって声が出ない。教室が凍りつくあの感覚。

「自分は何かが違う」

普通に話すこともできないんだ」

そのときの光景とこの言葉が、今も心に鮮明に残っています。

中学・高校では、人と話すことを避けて生きてきました。

言葉が詰まるところを見られて、笑われたくなかったからです。

あの頃の僕は、いつも逃げることしかできませんでした。

成績はどん底でしたが、先生に何度もお願いして指定校推薦をもらい、何とか広島国際大学で言語聴覚士への道を歩み始めました。

「普通に話せない自分」が「話すことを支援する仕事」を選ぶ。

矛盾していますが、多少言葉を話せなくてもこの業界なら理解してもらえるだろう、そんな甘えもありました。

というのは表向き。ただ、自分に自信がなかっただけ。

社会人になり、仕事ができる同期との差に劣等感ばかりを抱いていました。

しかし、そんなことを考える暇もないほど忙しい毎日のなかで、徐々に「自分が自分ではなくなっていく」ような感覚に陥っていきました。

「この会社しかない」と思い込んで、働き続けた20代前半

なんとか国家資格を取り、言語聴覚士として医療機関に就職。

でも、就職してからも、吃音は直るわけではない。

電話が鳴るたびに心臓が跳ね上がる。挨拶のたびに喉が詰まる。

最初のうちは、個室に隠れて息を整えてから受話器を持つのが日課だった。

「こんなダメな自分を雇ってくれる職場は、ここしかない

ずっとそう思い込んでいた。

そのくせ、自分の意見を伝えられないから上司のやり方に納得できないことがあっても、言い返せない。

低賃金で常に人員不足な環境でも「ここにいるしかないんだから」と、飲み込んで笑っていた。

自信がない学生時代と、何も変わっていなかった。

ただ毎日決まった業務をやり過ごすことだけを考えていた。

けれど、ふと将来を考えると、どうしようもない恐怖に襲われるのです。

「1年前と何も変わっていない」

このままじゃ、ほんとにやばい…」

その一心で、もがいてもがいてもがき抜きました。

でも、自信がないから就活はできない。今の場所に残るしか選択肢はない。

そして、就職という現実から逃げるようにして、研究職を目指すべく大学院への進学を決意したのです。

積み上げてきた階段が、音を立てて崩れた20代後半

社会人6年目になる28歳のとき、大学院へ進学。

週5日のフルタイム勤務をこなしながら、週3回大学院に通う日々。

しかし、膨大な課題と研究に追われ睡眠時間は毎日3時間を切り、常に限界の状態でした。

「上を目指せば、きっと何かが変わる」 そう信じて疑いませんでした。

けれど、体は正直で半年もしないうちに体調を崩し、中途退学。

必死に積み上げてきたものが、音を立てて崩れ去っていく感覚を今でも覚えています。

そして、逃げるように当時付き合っていた彼女と結婚し、その翌年に長女が生まれました。

朝5時に産婦人科を駆けつけたあの日。

最初は聞こえなかった産声が、吸引を経てようやく響き渡った瞬間。

あの場の空気が一変した感動は、一生忘れられません。

「この子と妻を、一生守り抜く」 心からそう誓いました。

しかし、現実は残酷なものです。

本業だけの給料だけでは足りないという焦りから、ポイ活、ブログ、FX、ハンドメイド、Webライター……と、手当たり次第に副業に手を出しました。

どれも形にならないまま、焦燥感だけが募っていきます。

そしてついに、FXで260万円という大金を失いました。

「自動で稼げる」という甘い言葉に飛びつき、近道を選んだ結果。

一瞬で数字が消えていく画面を、僕はただ呆然と眺めていることしかできませんでした。

それだけではなく、娘の初めてのひな祭り。

妻が心を込めて飾り付けをしているすぐそばで、僕はパソコンに向かい、わき目もふらずにWebライターとして提出する文章を書き上げていまいした。

すると、妻から一言。

「今、この子と過ごす時間は、もう二度と戻ってこないんだよ?」

妻のその言葉に、僕は一言も言い返せませんでした。

家族を守るために始めたはずの副業が、家族との時間を奪い、さらにはお金まで失っている。

稼げてもいない、家族の隣にもいられない。

自分はいったい何のために頑張っているのか。

あの頃の僕は、上下の感覚さえ失うほど地に落ちていました。

どこに出口があるのか、それすらも見えない場所に立っていたのです。

コンテンツビジネスに出会い、人生は好転してきた

そんな絶望に立たされていた29歳のある日。

たまたま手に取った本、そこから広がる電子書籍の世界でコンテンツビジネスという存在を知り、僕の人生は少しずつ、けれど確実に変わり始めました。

まず僕が夢中になったのは、Kindle出版で「自分の本」を書くことでした。

かつて自己紹介で名前すら言えなかった僕が、自分の言葉を紡ぎ、それを本として世に出す。

開始から4ヶ月後、自分の力で月1万円を稼げたとき、その重みに震えるほどの衝撃を受けました。

何より嬉しかったのは、お金だけではありません。

僕のこれまでの失敗談やコンプレックス、経験談が、誰かに読まれ、誰かの勇気や前向きな力に変わっている。

25年以上ずっと隠し続けてきた「弱さ」が、誰かを救う「強さ」に変わった瞬間でした。

その実感が、何にも代えがたい喜びに生まれ変わったのです。

しかし、この時の僕はまだ、自分の時間を削り続ける「労働」から抜け出せていませんでした。

転機は31歳。広島で出会った「ビジネスの師匠」が、僕の考えを変えてくれました。

「自分の経験を資産に変えて、自動で価値を届ける仕組みを作るんだよ」

その一言で、視界がひらけました。

自分の人生を振り返り、今、心から思うことがあリます。

たとえ、強いコンプレックスを抱えていても。

人より失敗が多く、自分の人生に悲観していたとしても。

ビジネスの世界には、誰にでも平等にチャンスがある。

正しい方向を向き、正しい努力を重ねれば、人はいつからだって、どこからだって人生を変えられるのです。

——でも、なぜ僕はここまで「自由になること」「時間を手に入れること」にこだわるのか。

その理由は、「もっと稼ぎたいから」ではありません。

言語聴覚士として9年間、医療の現場に身を置いてきた僕が、ある「残酷な現実」を何度も目の当たりにしてきたからです。

少しだけ、僕の仕事で見てきた話に耳を傾けてください。

1秒も戻せない、成功の代償と残酷な現実

言語聴覚士として医療の現場に身を置いて9年。

僕は、あまりにも多くの「人生の終わり」を目の当たりにしてきました。

その中で、今でも頭から離れない、一人の患者がいます。

その人は「嚥下障害」という、うまく飲み込めなくなる病気がありました。

好きなものが食べられなくなり、食事のたびに喉に詰まる窒息と戦っている。

しかし、ある日を境にその人は、口から食べることができなくなっていました。

チューブで栄養を入れるだけの日々。

リハビリを続けながら、ある日、その方がぽつりと言ったんです。

「家族と一緒に、もう一度ご飯が食べたかった」

その言葉を聞いた瞬間、僕は返す言葉が見つかりませんでした。

死を前にした人が後悔するのは、仕事のことじゃない。

残業が多かったことでも、給料が低かったことでも、キャリアの階段を上り詰められなかったことでもない。

家族と過ごした時間の少なさを、心の底から悔やむのです。

9年間、数えきれないほどの「最期」に立ち会ってきた僕がいま、確信している一つの答えがあります。

それは、彼らが現役時代に築いた成功の裏側で、最も大切にすべきだった「時間」と「心」の余裕を、あまりにも安く手放してしまったのではないか、ということです。

どれほどの資産を築き上げたとしても、過ぎ去った時間だけは、1秒たりとも買い戻すことはできない。

お金だけを手にしても、本当の意味での「豊かさ」は決して手に入らない。

その患者の言葉は、その後も長い間、僕の頭から離れませんでした。

そして、ある夜——娘の初ひな祭りを副業作業で潰し、妻に「今の子どもとの時間は、もう二度と戻ってこないんだよ?」と言われたあの夜——、ようやくその言葉の重みと、自分自身の姿が重なりました。

時間=命です。

だからこそ、僕は声を大にして言い続けたい。

本当の〝豊かさ〟とは、〝時間・お金・心〟この3つの自由が揃って、はじめて手に入るものなんだと。

そして、この3要素を、個人の力でリスクを抑えながら着実に実現できる手段こそが、コンテンツビジネスだと、僕は確信しています。

コンプレックスを抱えたままでも、人生は変えられる

「大丈夫ですよ、必ず上手くいきます」とは言えない。

でも、コンプレックスがあっても、FXで260万を失っても、8回副業で失敗しても、正しい方向で正しく動けば、人生は少しずつ変わっていく。

それだけははっきり言える。なぜなら、僕がそうだから。

30歳手前でどん底に落ちるまで、コンプレックスの塊だった人間が、コンプレックスをそのまま武器にして、今も前に進んでいる。

なぜ、失敗やコンプレックスを隠すのではなく、あえてさらけ出してコンテンツにすることが大事なのか。

僕が最初に作った電子書籍は、一番のコンプレックスである言葉の問題。

恥ずかしいし、悔しいし、書きながら手が止まることも何度もあった。

でも不思議なことに、その書籍に「私も同じです」「勇気が出ました」というコメントが届きました。

自分と全く同じ経験をしていなくても、人は「弱さと向き合う姿」に自分の悩みを重ねて、共感してくれる。

綺麗な成功ストーリーは、読む人を憧れさせるかもしれない。

でも泥臭い失敗の話は、読む人を「自分にもできるかもしれない」と気持ちを動かすことに気づきました。

過去の恥ずかしい自分を語ることで、読者との信頼関係が生まれ、それが自然と収益につながる。

それを身をもって経験することができました。

だからこそ、コンプレックスは、隠すべき弱点ではなく、あなただけの唯一無二の武器になる。

あの患者が「家族と一緒に、もう一度ご飯が食べたかった」と言ったように、失った時間は1秒たりとも取り戻せない。

だから、今この瞬間から動いてほしい。

もし、あなたが今、コンプレックスや過去の失敗を抱えながら、「自分には無理だ」と諦めかけているなら。

会社にぶら下がるだけの毎日に疑問を感じながら、自分らしい稼ぎ方を見つけたいと思っているなら。

コンプレックスを隠し続けるのではなく、それを武器に変えて前に進みたいと思っているなら。

ーここまで読んでくれたあなたに、もっと深い話を届けたいと思っています。

ブログはオープンな場所なので書けることが限られますが、メルマガではコンテンツビジネスで収益を作るための、踏み込んだ話をしていきます。

なお、メルマガ登録してくれた方には、僕が最初に作った電子書籍「不変の集客戦略書」を無料でお渡ししています。

ここには、僕のストーリーとともに、個人ビジネスをしていくために必要な設計図をまとめています。

もし、いまの自分を変えたいと思っているなら、まずそこから読んでみてください。

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最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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